ー校区の概要
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北校舎屋上より、西側から北側をのぞむ。<平成23年6月>
平和台団地上より、西側から北側をのぞむ。 <平成23年6月>
広島市の北西部に位置する安地区は、古代には山陽道が安川沿いを通り、京都や大阪と九州太宰府間を結ぶ交通の要衝となっていました
。
中世になって、武田氏が安芸国守護として入国し、武田山に銀山城を築城して以来、産業及び文化の中心として栄えてきました。
近世になると、安川が運んできた肥沃な土地に、瀬戸内の温暖な気候も相まって、農業の急速な発展が見られるようになりました。また、農閑期には、山に入って森林の手入れに努め、緑豊かな自然がどこまでも続きました
。
しかし、戦後になって、静かな農村に人口の変動がみられるようになりました。
昭和40年代に入って、この地方は広島市のベッドタウンとなり、なだらかな山裾が切り開かれて、団地の造成や住宅建設が行われ、人工も急激に増加していきました。
本校が位置する平和台団地は、火山(488.3m)の北斜面を造成して作られたものです。
昭和51年4月1日に、安小学校から分離独立して「広島市立安西小学校」が開校しました。
安西小学校の学区は、平和台、南高取、豊松園、東亜ハイツ、長楽寺、ふじが丘伴安地区を含みます。
北には交通科学館が見えます。